ジェヒ

パク・サンヨン、オ・ヨンア訳 『大都会の愛し方』(2020,亜紀書房)より、「ジェヒ」を読んで。

 同居中、そして2月末にはお別れが来るKちゃんとのことを思った。
 友達、なんだけど、友達、で、恋愛関係には、ない。
 でもそれは、今のところわたしの恋愛対象が女性じゃなく男性だから。たぶん。

 作中では、主人公の男性ヨンと、一緒に暮らす女性ジェヒがいて、2人は恋人同士ではなく、友達、同志のようなかんじ。ヨンは男性が好きで、ジェヒは男性が好き。
 「男女」の友情というけれど、男女というより、恋愛対象がマッチする同士での友情はあるのか?わたしの答えは「ある」。
 友情と恋愛ってむずかしい。好き、きらい、愛してる。人との関係、関係性はグラデーションで刻一刻と変わっていく。

 わたしはKちゃんのことが好きだ。でもそれは恋愛の好きじゃない。でも、かなり好きだ。少なくともKちゃんがわたしのことを好きよりも大きく。比べることじゃないし、比べられないし、比べてもねってかんじだけど、そんなかんじ。

 一緒に暮らすっていい。わたしにとっては。わたしには誰かと暮らすって合ってると思う。ただ、深い関係になるのはわたしの場合、一対一だと思う。つまり2人暮らしってこと。これを導き出したのはKちゃんとの同居だし、これから3人や4人で暮らしてみたらどうなるかわからない。

 同居人を探してる。いまのところは男子無理だから男子とは暮らせないんだけど、いつか暮らしてみたいと思う。その気持ちはどこからくるか。

 たぶん、わたしには今まで付き合った人がいないこと、付き合うことへの憧れは、他人からどう見られるか、どう見られたいかにも、影響を与えている。
 単におもしろいこと好きなのもある。恋愛関係にないのに男子と暮らすってなんかおもしろそう(正直客観的に見てみたいなところがより強い)。

 人と暮らすって時間がかかるから、1年間という限られた時間の中でどんくらい深い関係になれるかはわかんない。無理だと思う。しょうがない。

 「ジェヒ」を読んで、Kちゃんとのことを書きたくなったよ。Kちゃんとの暮らしがそこにあったよ。ありがとう。一緒に暮らしてくれて。出会ってくれて。

 コロナもあって家にいることが増えて、コロナの影響もあってか、2人ともいつも安定してるってかんじではなくて、ぶつかることも正直けっこうあった。気がしてる。
 コインランドリーに逃げたときも、ひとり部屋にこもって苦しんでたときも、結局はまた一緒に暮らした。戻ってきた。で、また行ってしまう。

 Kちゃんが「わたしの話聞き流してるよね」的なことを言ったとき、聞き逃しはしなかった。ショックでもなかった。自然とやっていたから。(そういうとこ!)
 Kちゃんが「暮らすのがうまいよね」って言ってくれたとき、嬉しかった。笑顔になった。自分の褒め言葉が見つかった。

 Kちゃんはわたしの名前を呼ばない。「ねぇ」って話し始める。
 わたしは「KちゃんKちゃん」と何回でもかおりちゃんを呼ぶ。Kちゃんがいないところでも、Kちゃんの話を友達にたくさんする。

 Kちゃんとわたしは、両想いではなかったし、でも片思いでもなかった、と思いたい。
 Kちゃんとわたしは、どうでもいい、関係性に名前なんてつけない、ただ、一緒に暮らしていた、数年間。それだけ。

 「これはわたしの 愛のしるしだ くたびれたシャツと 昨日観た映画 子どものころに 素肌で感じた 新しい景色 変わってないね」(Le Makeup「愛のしるし」)

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