「生活」2022年1月7日(金)


友達が結婚した。
2022年を2021年と書くあたり、2021年には1年間慣れてなかったんだなと気づく。
三輪亮介さんの「生活記録」を元町の1003でgetする。手元に置く。
手が毎晩かゆくて、おさめようと両手でこすって余計かゆくて皮膚科に行っていつもはあまり必要としていないかゆみ止めの飲み薬が欲しい。
カネコアヤノの燦々ひとりでにを聞いている。
ときどき歌う。歌い上げる。大きな声で。
久しぶりに手書きで日記を書いたけど、なんかしっくりこなくて、Twitterに載せているブログ?の過去記事をちょっと読んでみたらよくて(Kちゃんの回)、書いてみるかとなる。
もちろん三輪さんの影響も感じる。ちょこっと読んだけど、わたしがブログのトップに書いている、読んでください、読まないでくださいに通ずるというか、ぴぴっときた部分があったような、うろ覚えだけど、見直すのはなんだかおっくうなのでこれまで。

散々やらかしている。今年も。今年も。
最近のわたしは2年間くらい、いやずっと変わっていないんじゃないかと思う。
久しぶりにパソコンで日記?日記と呼べるのかも最近疑いたくなってきた。
誰かに依存しても、誰かを探しても、そして誰かがわたしにとってこういう人と呼べるようになっても、見つかっても、通じ合っても、それは全く今までと変わらないのではないかという気持ちが強い。最近特にそれを感じる。
ひとりでいたい気持ちとひとりでいなきゃな今はという気持ちと誰かといたいという気持ちはあるけど、誰かといなきゃなという気持ちは全くない。
INAさんのつつがない生活、よかった。和歌山からの帰り道、大阪駅からの電車で読み切った。ちょうどよい量だった。

あんまおおやけには書けないと思っていたけど、まぁちょっとは書いてもいいのかなと思ったり、後悔したりだとは思うけど、後に戻れないということも全部ちっともこわくないというか、それはそれというか。
2020年のことは書かないし、2019年のことは一生書けないと思っているし、2021年のことは、うん書いてもよいんだけど、そんなおもしろいか?というか、今書く必要性をあまり感じないというか。
だから日記?手書きのノートに書くのも、今までの日記と呼べるかどうかのものも、いつも書いているのは、いつも自分のそのとき今の気持ちで。
自分は気分にむらがあるというか、アップダウンが激しいというか、必ずあるというか。
うつ病で、6年目通院していて、合宿免許はうつ病で断られて。
まあ散々な人生だとは言えないんですけど、散々だわと言いたくなる人生の一部、ひと夜もあったりして。
どうなんすかね。2022年どうなるんでしょうか。

日記という名前じゃなくてなんと名づけたらよいのでしょうか。三輪さんは記録とブログに名づけているけど。
瞬間。ま。あいだ。熟語。単語。

三輪さんの生活記録、大学生の三輪さん、読むのが素晴らしそうすぎて手を出せない。

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