深夜の浴槽の底部分

ちょっと落ち着いた。
夕方気圧を感じて横になって、母と電話して、やたらと心配されて、ごはん食べて、ちょっとやっと卒論に手をつけて、寝よっとなって、高橋源一郎編「読んじゃいなよ!」を読む。
伊藤比呂美さんのところを。

すごいよかった。一度読んだはずで、そのときも感想があったろうけど、今回は感動した。

書くこと。自由であること。責任。

ドイツ。大学の先生。

自分は今就活してない。
6年大学にいる。
ちょいちょい長期間休んでいる。

自分が大事にしたいものってなんだろう。
自分がきて、その次に友だちがくる。

自分を大切にするってどんなだろう。
この選択をして後悔しないってどんなだろう。

話が変わって。

人と別れる、と認識するのは、とてもその人との時間に思い入れがあったからだろうと思った。
別れたって思わない人でも、もう会わないこと、あるだろうなあ。
別れたって思った人と、また会うことは予想もしないけど、少し期待してしまうなあ。

わたしにとって一番強い別れがある。
20○○年○月、たしか。
わたしとその人は別にそういう関係じゃなかった。



迷いがある。書いていいものか。消化できているのか。自分のためでしかない。書いていいのか?



続ける。
そういう関係。好きとか嫌いとか、尊敬してるとかしてないとか。
好きだし、尊敬してた。
たしかに、たしかにわたしはクライエントではなかった。

助けてもらえなかった。
近くなりすぎた。
助ける・助けない以前に、見放されてしまったかんじがした。

結局もう二度と会えなくなった。
あのときも雨が降っていた。
傘をたたんで、また開いた。



別れたくて別れてまた再会した人もいれば。
もう会えないけど、別れの準備をして、別れを迎えた人もいる。

別れてもいいけど、最後わかりあいたかった。



やはりこの文章を公開するのは気が引けるので、どうしようと迷うのだが、個人的に話すのだったら、もっと詳しく言っちゃうし、公開するのならもっと抽象的にしたいような気もする。




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