同居人が深夜に帰ってきた。
最後やもんと言った。
久しぶりに同居人と会う気がした。
そう久しぶり。
生活の続きに足りていないこと。
同居人との会話。
簡単でもいいから料理。
婦人科にちゃんと行く。
お金を計画的に使う。
お母さんの機嫌を気にしない。
手紙を書く。
びんをごみに出す。
国試の勉強をする。
月曜から夜更かし何万年ぶりに観たけど
おもろい。わしも10年間くらいかけて
生活を動かしていきたい。
今日はお水を入れる。
今日は薬をぷちっと出す。
今日はカーテンを開ける。
今日は日めくりをめくる。
今日はスマホを充電器から外す。
今日はLINEを返す。
最近返してないLINEを返すのは
絶対ではないけどほとんどに近く
海辺にメッセージボトルを流して
帰ってくることと似ている気がしてきた。
あ、メッセージボトルは返ってこないか。
いややったことないからわからない。
マッチングアプリが使えなくなって
使わなくなる前に使えなくなって
誰かと話したいときに
「誰かと話したいとき」という形容になっている
解像度、今の自分の限界というか
向き合おうとしてないところ。
誰かと話したいを分析
いややっぱ恥ずかしい
いやでも書くか
きょはそんな気分。
コサのクールキッズを聴いている。
誰かと話したい
男子と話したい
男と話したい
はどこから来るか。
どこへ行くかはまだ途中だけど
なんとなくわかってきた。
どこから来ているかは
まだ、言葉にできない。
よく、わからない。
なぜ男と話したいのかを
言うのがこわいのか。
恥ずかしいのか。
心当たりあることを
2つほど述べると。
小学生のとき男子にモテたいと始めたサッカーで
ミスをするたびに強くにらまれたこと。
部活でいじめられてたとき、輪をかけるように
廊下で男子に「おにがわら」と言われたこと。
いじめつながりで言うと、留年したとき
すれ違うと「死ね」と必ず言ってくる人がいたこと。
それを受けとめてくれる人がおらず、幻聴かな、
自分が間違ってるのかなと思ったこと。
今までの人生でずっと片思いで付き合ったことが
ないこと。
精神的につらくて頼りたいなと思う人が男性で
ある人にはもう会えなくなってしまったこと。
全然2つじゃなかった。
記憶は記憶を呼び、悪い思い出はエスカレートできないくらい
底の底にあってにぶく光っている。
たびたび会えなくなってしまった人のことは
書いているなあと思う。けどできるのはそれくらいなのだ。
会えないし、会おうとしてはいけないし、会えないし、会えたとしても。
たぶん卒論でソーシャルワークによる抑圧を書いたのも、
関係している。
自分のことはいいように取りたいし、それはいのちをながらえさせる。
ただそれが誰かを傷つけてしまったとき、自分を責める。
自分を責めることでも、いのちをながらえさせる。
ただそれはわたしにできる唯一のことなのか。
いつもできるときは他のたくさんの選択肢を探すようにする。
さまざまな形でかけらほどに小さくなった、輪っかのすれ違いでも
刺さっているのはときどき確認できるときに確認している。
人に手伝ってもらうときもある。ひとりじゃない。
自分が人を傷つけたことをかもしれないとしたいこと、
本人同士ではもうきっとずっと話せないこと。
自分がその人を傷つけたことは確かであると考えられるけど
それを否定、いや本当のことを、その人の気持ちを
伝えてくれると想像できて、たぶんこれは書き続けていいのだと思う。
たぶんずっと書いていくのだろう。自分のなかに残り続けるのだろう。
ホームズの雲間
ホームズが文章を書いていきます。載せます。載せません。読んでください。読まないでください。
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